心のカルテ -うつ病の始まり-
このところ不思議な現象が起こっております。
朝目覚めて1階にに降りると、まずはなぜかソファに寝転ぶ私。
するとすぐラインがピンポン。今朝もでした。
「よく寝れた?」主人からです!
え!?なんで起きたのわかるん!?主人に問い詰めると、不思議な現象の犯人はなんとソファのあるリビングのどこかに隠されているカメラからだったのです!まさにストーカーです!
鬱でしんどくなると決まってソファでゴロンとなる私。たぶん、時々そのカメラを通して、私の1日の体調を見てくれているようです。ここまでするか!? 過保護な主人です。
と思いながらもやっぱり嬉しいのです。って言うか仕事してるの!?とも言いたくなる…。
こんな主人と一緒にいると、昔のことはまるで夢でも見ていたのかと思うことがよくあります。
でもやはりそれは現実で。
強迫で苦しんでる私は、一緒に住んでいながらも、ひとりぼっちだなあと感じていました。
病院を探していましたが、当時はあまり強迫という病気を、病気だと理解してくれる医師がおらず、1人でいろんな病院を転々としていました。
主人には相談しませんでした。どうせ答えなんか返ってこない。
この時の唯一、そしてただ1人の味方は母でした。
母は私の症状を知るやいなや恐ろしいスピードでいろんな病院を探し回ってくれました。
何の病気かわからなかった私は、ある大学病院で「強迫性障害」だと知らされました。
当初は投薬から始まりました。でも病状は変わらずエスカレートしていくばかり。
何軒の病院を回ったことでしょう。10軒は超えていました。
1時間で済ませる料理も、お肉やお魚が怖くなっていき、2時間以上かけて作っていました。
この時、主人はこんな料理を食べてもおいしいと感じるんだろうか、そんなことを考えていました。
でもやがてそんなこと聞く気にもならなくなっていきました。
思うことは、なんでこの人と一緒にまだ私は暮らしているんだろう、です。
この時、私の心を支えてくれていたものが布花でした。
布花を創っているときだけは幸せで、例えそこで強迫が起きてもそれでも触れていたかった、そんな存在でした。
でも1年ほどこんな生活が続き、やがて6畳の部屋でさえも1時間かけて掃除機をかけるまでになった頃はもうノイローゼに陥っていました。
あるとき体がだるく、動けない、そう感じるようになっていきました。
うつ病の始まりです。
病院でも「うつ病」と診断され、そのことを主人に報告しましたが、だからといって毎日の生活は何も変わらずに。
そして私は、私が悪いんだ、こんな奥さんを持った主人に申し訳ない、なんとかして普通の生活を守らなければ、家事を休んではいけないんだ、そう思い込んでいました。
でも。
必死になってる私に一言でいいから言って欲しかった「無理しないで」。
そして、あの時の主人に「どうして私を救ってくれないの?」と言えたら良かったのに。
――続きます――
良ければポチッとよろしくお願いします。
↓ ↓ ↓