心のカルテ -苦しみの始まり-
ブログでは皆ほとんどが見知らぬもの同士。
私がどこの誰かもわからないはずで、こんな場だからこそ吐き出せるのに、なぜか今まで一度も書いたことがない話があります。なぜでしょう。わかりません。でもたぶんそれは今の環境に感謝しているからなのだと思います。感謝しているのに、昔のことを恨んではいけない、そう思っているんだと思います。
でも、時にふっと思い返すと、心を抑えきれない悲しみに落ち、やがて腹立ちにも変わります。
でもこの最近、ここで全て吐き出してこの気持ちを終わりにしたいと思いました。昔のことは忘れよう、今幸せだからいいんだ、そう心から思いたいと思いました。
これは最後まで書くことができるかわかりませんが、長い話になるので何回かに分けて書いていこうと思います。もしかしたら、これが書き終わればブログも終了しようか、とも思っています。
今。
今の私は病気の症状さえ除けば、きっと幸せであり、また取り巻く環境も恵まれてもいるのだと思います。感謝しています。
何より、病気と闘っているのは私1人ではなく、家族みなで、そして何より一番近くにいる主人が私の病状を理解し、自分のことより、また他のなによりも私を優先してくれていることに感謝してやみません。
ですが、この環境は数年前まで当たり前のものではありませんでした。
始まりは、有るとき突然やってきた強迫性障害から。
それは本当に突然やってきました。
食器を洗っている時に感じた違和感。なぜか洗っても洗っても汚れている、そう感じる不思議な感情が湧き出てきました。理由のわからない「汚い」と思い込む感覚。
後にわかった強迫性障害の「不潔恐怖」といわれるそれは、あっという間にいろいろなものに、手洗いや身支度、家事全般に関して、それだけではなく、本当に書き切れないくらいにいろんなものに広がっていきました。
例えば食器。それは何度も洗うだけでは済まされず、やがて食器棚のものを全部取り出して棚を消毒するようになっていきました。
1日に何回着替えていたのか。一体一回何十分手洗いしてたのか。何回同じものを洗濯しては洗い直していたのか。やがてはクリーニングさえも信用できなくなっていったのです。
いろんな妄想も頭に浮かんでくるのです。
トイレに入ると、便器に服が落ちて浸かったんじゃないか、無意識のうちに手を便器の水に付けたんじゃないか。
さっき服を着替えたけど、どこで着替えたの?トイレ?ちゃんと部屋で?
お風呂に入れば、このシャンプーと書かれているものは本当にシャンプーなの?油ではないの?わからないから洗えない!
こんな風に笑えないようなことに翻弄され、私の1日は苦しさとパニックで泣きじゃくる毎日でした。
誰か助けて!心の中でも、声に出してもそう叫んでいました。
だけど。
一番そばにいるはずの、一番その苦しみを見ているはずの主人は、私の強迫行為と、泣きじゃくる姿を見て嫌気がさしたようです。
主人から出た言葉は私への怒りから出た言葉ばかりでした。
「仕事で疲れてるんだからもうこれ以上疲れさせるのはやめてくれ!」
「洗ってるのがなんでわからない!?」そう怒鳴り散らされていました。
気遣いなどどこにもなく、ただ単にこんな私が嫌で仕方ない、そう思っているのがわかりました。
「ごめん!ごめん…」
「迷惑かけてごめん」
ただひたすらこんな迷惑な自分が嫌で、申し訳なくて、涙が出て、泣いて謝ることしかできなくて、
これはもう地獄だ、そう思い。
これが私の苦しみの始まりです。
今まで私のブログを読んでいて下さっていた方々の、思い描く私の優しい優しいはずの主人。
その主人は「病めるときも健やかなるときも」そう誓って結ばれたはずだったのに、
その時は病んだ私をどうやら見捨てたように見えました。
――続きます――
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