躁と鬱と私

鬱から双極へ転化し。家事のできない名ばかりの主婦

心のカルテ 8 -最終話-

昨日は圧迫骨折の治療のため、大学病院のペインクリック科に行ってきました。
相当歩けるようになりました。やはり主人はいつも付いてきてくれます。会社休んで。
今では主人が先生に質問することの方が多く、先生は私ではなく、主人とばかり話をしてる、そんな診察なのです。当の病人であるはずの私は「よろしくお願いします」と「ありがとうございます」だけ?

今、主人のやってるプロジェクトは忙しいようで、休んでくれた日を穴埋めするため、他の日は帰りが遅くなることが多いです。一人で行けるから、と言っても付いてきてくれます。
主人は言うのです。
「会社なんて定年が来たら終わりの関係。だけどみかんとは一生繋がっていく。その関係が一番大切。だから何の問題もなし!」と言います。
そしてあれからの私たち。

 

以前から母に強迫性障害の行動療法を勧められていたのですが、うまくいかない家庭にうんざりしていたため、治療する気も失せ拒んでいました。
そんなあるとき。
主人が「一緒にその病院に行こう」と言い始めました。
今まで1、2回、嫌々ながら付いてきたくらいの主人が行動療法を進め続けるのです。
本を出して私に見せるのです。行動療法についての有効性が書かれた本でした。

「これどうしたの?」って聞くと、前から強迫性障害うつ病についての本を購入して読み始めていたそうです。今まで見て見ぬふりしてきた私の病気や私の苦しさを理解しようとして。
出来うる限りのことをクリアしていこうと心に決めたそうです。
家を建てたのも、環境が変われば、お母さんの心配もなくなれば、そう思ってのことでした。

 

いろんな本を読むうちに、強迫性障害は薬では治らない、私の母が言うとおり行動療法が最も適していると感じたそうです。
初めて心を打ち明けてくれたこと、病気を理解してもらえたこと、これから一緒に治療をしていこうと言ってくれたこと。私は柄にもなく、嬉しくて大泣きをしたのを覚えています。

 

強迫性障害の治療には1年半かかりましたが、一度も欠かさず同席してノートにメモをとったりしてくれました。先生の話は難しく、私が理解できないところは帰りに説明してくれたり。頼もしい存在です。できないことは今でもあるものの、治療は良い方向に進んでいき。

 

ただ鬱はますますひどくなり、寝込む日が多くなっていきました。
寝込んでいると昔の事が蘇り、悲しい気持ちになります。強迫性障害になった「あの時」に、病気を理解してもらえていたなら、守っていてもらえたなら、もしかしたらうつ病、そして躁うつ病も発症しなかったのではないかと思うからです。
だけど主人はこう言うのです。
強迫の時に冷たく扱っていたがために躁うつ病になったことを悔いて
「僕は一生十字架を背負って生きていく」
こんな主人を責められません。
また、母に対してもあの時のことについて心からの謝罪をしていたようです。

 

今の私を取り巻く環境は決して昔からあったものではなく、病気に知識がなかった主人の言動で私は何年もの間、傷つけられ苦しんできました。そんな状態での私は「不倫」という形で自分を大切にしてくれる人の元へ逃げていき、腐っていくだけであったこと。
ちゃんとした病気についての認識がない家族の発言は、時には病人を苦しめ、孤独を感じさせ、やがては家族への憎しみを抱かせ、家族関係は壊れていく。

 

強迫性障害だけでなく、躁うつ病うつ病統合失調症など、健常者にはわかりにくい症状は、一番近くにいるはずの家族にさえも理解されにくいことに腹が立ち、まだ心のどこかでくすぶってる、昔の苦しく、寂しく、また悲しみで一杯だった時代のことをどこかで吐き出したい、そう思い、この「心のカルテ」にて暴露することで、そのくすぶった感情を捨て去ろうと思ったのです。

 

これからは前だけ見て生きていこうと思います。
躁うつ病にも理解を深めるため、まだまだ本を読みあさってくれる主人。病気を理解しようとしてくれる姿に私はもう何の不安もありません。

 

この「心のカルテ」。
書き終えた今の私は何だかすっきりしてます。
これからはやっと軌道にのった布花や他の趣味に私の力を注いでいきたいと思います。
それが主人の願いでもあるのですから。

 

このブログを最終回にさせていただき、このブログから去ろうと思います。
2017年から1年半書いてきた私のつたないブログ、今まで読んでいて下さった方々、コメントをくださった方々に心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。


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