躁と鬱と私

鬱から双極へ転化し。家事のできない名ばかりの主婦

布花の世界と私の生き甲斐

病院に行く私と主人の乗った車から、スーパー帰りの主婦を見た。
よくある風景。
でも今の私にはできない。

私は病気になる前、主人が喜んでくれる料理を慣れない手つきで長い時間をかけて作っていた。必ずおいしいと、豪華だねっていってくれる主人。

でも今はもう作る気力がない。

強迫性障害もあり、一生作れないかも知れない。

 

今は、お料理が上手な方がいらっしゃるのでお頼みしている。
体は楽でも、でも心は泣いている。

 

家族はそんな私の心を知っている。
「主婦は家政婦じゃない。家事は誰にでもできる。
だから私にしかできない、別の道で心を満たせる人生を探すことは決して間違っていない」そう望んでくれている。

 

別の道っていうのは布花の世界。

私は実は布花を極めたい、そうずっと願っていた。

布花は布で花を作るもの。                            

布の選択、色だし、染色、そして組み立て。
特に染色は難しいが、思った色が出せたらコテや指やあらゆるものを使って布をあやつり、その花がまるで生きてるように作られていく、その時間が私に言葉では言いあらせないほどの幸せの時間をくれた。
                                          
花びらが真っ盛りに咲いてる花。
枯れて崩れ落ちていく花の姿も美しいって感じる。
この世にない花たちも作るが、それも幻想的で好き。
         
全てに拘って。花びらや葉だけじゃない。目立たないように思われる花芯も1つ1つがその花を引き立てる。
同じ花でも1本1本違う顔を持つ花たち。いろんな形で踊る花たち。

私のライフワークだった。いつも時間があれば花を作り続けていた。
ものによっては何か月もかかる作品もあった。

でもそんな布花を作る気力はいつの間にかなくなり。
もっかい作る気力が欲しい。あの世界に戻りたい。

 その機会が訪れたことに感謝です。

15年のブランク。きっと綺麗なお花はつくれないだろうけど、できあがりが大切なだけでやっていたわけじゃないので、触れるだけで嬉しい。

いいのかな、わたしだけそんな好きなことして。

って思ってたけど、先日の主人の言葉で励まされた。

 

ベートーベンは耳が聞こえなくても最後の交響曲第9番を作った。
そして「運命」の最初の4つの音は「扉をたたく」そんな意味を持っている、とベートーベンは言ったという。
音楽への執着と憧れは、難聴や耳が聞こえなくなっていく障害を経ても壊れることはなかった。

もし私がベートーベンに話しかけることができたなら、なんて答えてくれるだろう。

 

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