躁と鬱と私

鬱から双極へ転化し。家事のできない名ばかりの主婦

躁エピソードがない-主治医の考える「躁うつ病」の定義

躁エピソードのない躁うつ病なんてあるのか。
なぜか躁状態がない私。
うつ状態の日が多く、今日は体調いいと思う日があっても、一般的にいわれるような躁状態らしきものがない私は、「うつ病」のくくりではないの?

昨日、診察日だったので、ここしばらくの体調を報告した後、そのことについて主治医に疑問を投げかけた。
躁状態がないのに、なぜ私は躁うつ病なんですか」

主治医の見解は以下のようなものだった。

・万年うつ状態に陥ってる人で、フラットな状態から上に上がることもなく、楽しいと全く感じることができない人は「うつ病」。
うつ状態があるにも関わらず、楽に感じる日や楽しいと思える時間が少しでもある人は「躁うつ病」。
・そして「うつ状態」がなく、一般的に楽しい!って思える時間を持ってる人たちは「健常者」。
その人たちは、極端に怒ったり落ち込んだりする事はあっても、それが生活に支障をきたさなければ、それは単なる気分屋の分類に入るらしい。

主治医の見解は、結局のところ「うつ状態があるかどうか」、そこにあるという。
うつ状態が続いても、そこに少しでも楽しいと思える時間があれば、その段階で「躁うつ病」。
ハイになったり、イライラもせずに、金銭面での激しい衝動、多弁などといった、いわゆる躁エピソードとしてよく言われるところの状態がなくても、だ。

躁うつ病」は気分が良い軽躁の時期が見えにく場合もあり、それはフラットよりも上の領域と見なされ、双極性障害の部類に入るのだ、
と主治医と熱い討論になり、1時間もの診察となったのでした。

でも異議あり!!
じゃあ、うつ病の人は年がら年中「鬱でぐったりしてる」のか?
ちょっとでも「今日は気分いいな」などと思う日はないのか?
それはちょっと考えられない。

うつ状態が長い私はいろんな病院を巡りってきたが、当時はどこへ行っても病名は「うつ病」だった。
うつ状態が多い中にもやはり現在のように楽な日があって、その時は「薬が合ってるんでしょうね」と言われていた。
その先生たちはなぜ「うつ病」と診断していたのか。

でもこの異議にも異論も考えられる。
考えられるとすれば、15年程前あたりに、
うつ病と診断されてきた人たちの中に、躁うつ病の可能性がある人が多く存在する」
と騒がれた時期があった。あの時に「躁うつ病」のくくりが広がったのかも知れない。

第三環系の抗うつ剤を長期間にわたり服用し続ければ、躁うつ病に転化するとの話もある。
確かに私はずっと第三環系の抗うつ剤を服用してきた。

私は別に「躁うつ病」を否定されたいわけではない。
うつ病」と診断されたいわけでもない。

心配なのは薬のこと。
躁うつ病うつ病とでは薬がガラッと変わる。それが不安でいる。

 

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