躁と鬱と私

鬱から双極へ転化し。家事のできない名ばかりの主婦

引きこもり生活

私の毎日は結構すさんだものだ。
いわゆる引きこもり。

 

朝は遅くにしか目が覚めないため、主人が何時に出かけたのかも知らない。
「いってらっしゃい」
そんな妻らしい言葉、いつから言ってないだろう。
もちろん朝ごはんなど作れていない。

 

起きてもしばらくは体がだるくて何もできず、身支度も昼過ぎになってやっと、そんな感じだ。
以前2階から飛び降り圧迫骨折した私は、買物に行くこともほとんどなくなった。
もう1年以上経つのに治らず、杖なしに歩くのが辛いのだ。
と言うより、出かける気力などない。

買物に行くのが嫌な理由は他にもある。
スーパーへ行くと真っ先に行くのが冷凍売り場。
晩ごはんは依頼して作ってもらっているが、何かの都合で万一食料がなくなった時用に冷凍食品を買い込むのだ。
そんな私の目に入るのは、料理の食材を選んでいる主婦の方たち。
いいなあ。私も作りたいなあ。
そう思うのが嫌だから、それを目にするのが嫌だから、特にスーパーは行かない。

 

ずっと自宅で引きこもり生活。
ほとんど1日、自室で過ごし、PCを触ってる時間がやたら多い。
趣味も何とか気力を出しても1時間が限度。
家事もしてはいるが、それは最低限のレベル。

まるで居候みたいに感じる。
主人の寄生虫にも感じたり。

 

引きこもり生活を続けていると、ふと寂しくなる。
一人ぼっちだなあって。
だからといって、友達とは最低限しか関わりたくない。
女の世界はいろいろややこしいのだ。
でも何か寂しい。
きっと誰かと何かの形で接してみたいのだろう。

そう思うのは、例えば外に出かけたときに他の誰かと少し話しただけで、今まで鬱々とした気分が少しマシになるのだ。

先日、先生に相談してみた。
誰かと接してみたいって。

先生は「デイケア」はどうか、と提案してくれた。
自宅の近くにある病院で、いい病院があると教えてもらい、検索してみると意外と楽しそうだった。
自由も効きそうで、いろんなプログラムがあった。
パソコン教室や陶芸や英語、それ以外にも作業活動、心理教室まで多種多様だ。
私も参加できそうなもの、興味あるものもある。
軽い人間関係なら私も気が楽だ。

 

引きこもり生活と寂しい気持ちからの脱却のきっかけにできればと思う。
ものは試し。
一歩踏み出せば何かが変わるかも知れないのだ。

(懐古録 2018/5/24)

よければポチっとお願いします。

  ↓  ↓


にほんブログ村