躁と鬱と私

鬱から双極へ転化し。家事のできない名ばかりの主婦

心のカルテ 3 -母の援助と現実逃避への第一歩-

今度の土曜日、憧れの先生の布花のお教室に行きます。

久しぶりに先生に会えることや、また先生の布花を作れることが楽しみでたまらなく、はしゃぎまくってます。綺麗な布花はたくさんありますが、「綺麗だな」という印象だけ。でも先生の布花は感銘を受けるのです。以前2時間かけてまで先生のところに通っていたのはそのせいです。

 

で、先日風邪をひいてた私ですが、もうすっかり治っております。

ですが!あれ以来、毎日私のPCの上に「活参」という「肉体疲労・病中病後」のための薬が乗せられているのです!それは土曜日の布花教室に万全の体調でいどめ!とのことだそうで。

また、我が家からは車で2時間かかるのですが、行き帰り、主人が運転手となり連れて行ってもらいます。お教室の3時間の間、ヒマだろうなあ…とは思うのですが、主人はそんなことより私が楽しそうにお教室から出てくる姿が見たいんだそうです。

 

心から感謝してます。どこまでも守られてるなあ、とも思います。

ですが。(またここから懐古録です)

 

あの時、うつ病になっても主人は心配してるとはとても思えず、、その証拠に病院にも付いては来てくれませんでした。頼み込んで付いてきてもらったこともありましたが、ただ横にいるだけ、質問などもなく、淡々と支払いを済ませて帰る。

この人は私のことを心配していない、私はただの家政婦なんだ、そう感じて、何でこの人と私は一緒にいるんだろう、またこんな感情を抱いて悲しくてたまらず。

 

当時ははまだ今ほどうつ症状が深刻なものではなかったように思います。

ですが、掃除機や洗濯、その他もろもるの家事、中でも「ごはんを作る」それが強迫に加えてのうつ症状で段々と辛くなっていき。

当時、うつ病は今のように騒がれていた病気でなかったため、これは心の病気、体の病気じゃないんだから怠けているだけと認識していており、さらに症状は悪化して。

 

そんな時助けてくれたのはまた母です。

同じ圏内でしたが、それでも電車だと2時間かかり、まだ強迫もあった私を心配して、母は私の家の1駅こえたところにあるマンションを借りて、夕食作りなど手伝いにきてくれるようになりました。

 

本当なら夫婦2人の問題。2人で解決していくのが当たり前のはず。

だけど、ただ引け目を感じていたため、母に頼るしかありませんでした。

でも母は疑問を感じていたそうです。

 

なぜ妻がこんな病気になっているのに、それでも尚平気で夕食を作らせるのか。

私までマンション借りてまでして助けに来ているのに、なぜ自分にお礼の一言もないのか。

そうなのです。主人は、母がわざわざ私のいるところまでまで来てくれることを、当たり前と思っていたようです。

 

母には本当に申し訳ないことをしました。

でもどうしても私は主婦である限り、家事を何1つサボってはいけない、そう思い込んでいて。

なんでこんなこと考えていたんでしょうね。

また、母は過保護だ、そう思われるかも知れませんね。でもここのまま娘が壊されていくのをただ見ているだけ、そんなことできなかったそうです。

私がいけないのです。「外で食べてきて」そう頼めば良かった、「離婚」を切り出せば良かった、今ではそう思えるのに、あの当時はそんなこと頭に微塵もなく母を巻き込んでしまって。

 

主人と会話することもなくなり、そんな気もなくなり、何だか見知らぬ人のように見えてきて。

そんな時、ふと見た出会い系サイト。誰かと話をして、この辛さから現実逃避したい。

この時から私は変わっていきました。

 

       ――続きます――

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