躁と鬱と私

鬱から双極へ転化し。家事のできない名ばかりの主婦

どんなときも病気を意識してる

このところ普通の状態を保てていた。

けれど、先日からの強迫パーソナリティに振り回された日々は、体も体もを疲滅多打ちにした。
特に一昨日。その日は1日中全く気力が失せていて。
体も頭も重く、以前のような鬱っぽい感覚。
そんな状態は夜まで続き、不安でいっぱいになった。
このまま、またうつ状態に落ちていくの? 怖くて泣きそうな夜だった。

 

でも翌日、目が覚めると、少しけだるさはあるものの時間と共にまた元の普通の状態に回復してきた。
まだ大丈夫。まだ私の病状は安定してるのかも知れない。
そう思って少し安心した。

 

だけど、こうやっていつもいつも怯えながら生きていくのが無性に辛くなる。
いつ鬱に転じるか、そんな気持ちがいつもある。
いつも、どんな時も、この病気を意識しない時なんてない。
体調がいつ変わるか案じない時なんかない。

 

平和な日々が一転して落ちていくとき。
それは明日かも知れないし、1ヶ月後かも知れない。
それがいつやってくるのかわからない。怖くてたまらない。
来る日も来る日もこんなこと考えてる気がする。
潜在意識の中でも。

 

病気であることを忘れることなんてできない。
いつ躁がきて、その時何が起こるのか、
いつ鬱が来て、その時はどんな状態でどんな思考回路になるのか、
きっと皆同じ気持ち、不安で仕方ない日々を送ってる。
普通の状態と言われるものが来ても、いつまで続くの?そう思わない人はいないんじゃないかと思う。

 

私たちの人生は何かを諦めて生きていく人生なのかと思うと、また切なくなる。
できないことはたくさんあって、そんな生き方を余儀なくされる。
「受け入れよう」そう思いながらも、その心は必ず泣いている。

 

自分は病気なんだ、そう考えずに過ごせる日々が欲しい。
疲れなんか気にしないで、したいこと思いっきりして、
それでも尚、一晩眠れば次の日の朝は眩しくて、
元気に「おはよう!」
そう言って一日を過ごせる、そんな夢みたいな、以前の病気になる前の人生。
不安の陰りなどなく、笑顔で過ごせる毎日。

 

健康だった時がどんなにすばらしいものだったか今になって知る。
「健康でいることが当たり前」と思っている健常者の人に、それは当たり前なんかじゃないんだよ、と言いたい。

私がこんな病気であること、何かの間違いであって欲しいって思う。


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