躁と鬱と私

鬱から双極へ転化し。家事のできない名ばかりの主婦

心のカルテ 5 -逃げ場を探して-

最近の私たちは常に常に一緒にいます。

必ず同じ部屋で過ごしています。私の部屋だったり、ダイニングだったり、場所は異なりますが必ず同じ部屋で一緒に過ごしています。会話は「このドラマめちゃおもしろいよね!」「うん!どうする?続き見ちゃう!?」 なんてことない会話です。

でも以前は主人と時間を共に共有することなんてなかった私、一緒にテレビなんか見たことない私には新鮮で。そして私がダイニングに降りると主人も付いてきます。お互い好きなことをしながら、向かい合ってたわいもない話をして。途切れることのない楽しい会話。布花を初めてからは、主人は大好きな模型、私は布花と、やはり向かい合って作業をしています。

私の父と母も複雑な関係にあったので、普通の家庭がよくわからないのですが、こんな感じなのでしょうか。

 

楽しいなあ。幸せだなあ。ずっと一緒に過ごしていたいなあ。そう思えます。

ですが。(またここから懐古録です)

 

以前はそれぞれが別の部屋にいて、主人が何をしてるのか、私が何をしてるのか主人も知らない、そんな2人でした。

私が病気になる前は、今のような優しくて一緒に楽しく会話できる2人だったのに。

私が強迫でパニクったり、鬱で落ち込んで暗くなってるせいで、主人はきっと私と同じ部屋にいると自分まで暗くなるので私を避けていたのだと思います。一緒にいる時間は夕食の時だけでした。

ひとりぼっち。

 

そういう気持ちに陥った時、ふと誰かと話したくなり、始めた出会い系サイト。

その人も奥さんに離婚したい、そう言ったところ奥さんはうつ状態になり、仕方なく一緒にいる、そんな環境にいました。私たち2人は家庭のことで同じように苦しんでいる者同士でした。

彼は土日は奥さんがいるということで、2週間に平日に1度有休をとるという無茶をして。申し訳なく思っていましたが、それに甘えていました。

やがて彼がいなくてはならなくなっていきました。でも一線を越えてはダメだとこの頃は思っていて、キスだけの関係。彼が私を甘やかしてくれる時間、私の心は救われていました。

 

でも一線を越えなかったのは、やはり主人がこんな風に変わってくれる日が来るかも知れない、そんな時をわずかでも期待していたからでした。

でもそんな思いも虚しく、私が強迫でパニックになると大声で怒鳴られ続け、罵倒され、うつ状態になって横になって肩で息をしている私を見ても知らない顔を続ける主人にもう何も求める気力もなくなり。普通の会話などない。そんな月日が過ぎ。

もちろん離婚も頭にありましたが、うつ病の私にはそんな勇気なくて。

 

私はもう完璧に壊れていたのだと思います。

既婚者の彼とお別れした後、別にメールしている人がいました。

その人は独身。28歳の年下で綺麗な人でした。

私は年齢よりも若く見えるらしいため、35歳くらいになっても20代半ばに見られていたことをいいことに、年齢を詐称し付き合い始めました。

 

鬱のことも伝え、体調が悪く会えない日があってもずっと傍にいてくれました。毎日心配してメールをくれることを、主人と比べては嬉しさ半分、悲しさ半分、複雑な気持ち。

この時、初めて関係を持ってしまいました。

はっきり言って、彼にとれば迷惑な限り。自分勝手な思いのために振り回したことになる。でも私は誰かにすがっていたかった。逃げ場が欲しかった。

 

でもどんな言い訳をしようと、私は汚い、汚れきった女なのはわかっています。

彼のことより自分を優先した、そして何より何より、どんな主人であれ裏切ったどうしようもない救いようのない女だと自覚しています。

でも壊れていた私は誰かにすがらないと立っていられなかった。

こんな私をどう非難されても構わないと覚悟をしながら告白しています。

  

      ――続きます――

 

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