躁と鬱と私

鬱から双極へ転化し。家事のできない名ばかりの主婦

たったお雑煮だけだけど

そういえば!
自慢でも何でもないですが、元旦と2日はお雑煮を作ったのです!
…普通に主婦されてる方なら当たり前のこと。
でも、この1年3ヶ月ずっと減薬に励んでいた私は、ここ最近になって調子が上向いてきたけれど、その前は体がだるくて、気力もなくて、食事など一切作れず。
他の家事はできても、私にとっては料理はハードルが高く。

 

減薬を始める前は時々料理を作ったりもしてました。
でもそれは、薬を飲んで気力を出しながらの料理。確かに今とは大違いですが、今考えればあんなの作れたって、薬の力を借りての料理なんて何の意味もない。

そして今年の元旦。おせちは人様頼りになりましたが、減薬を始めて以来、初めての料理?お雑煮を作りました。


正直、全くだるくない中で作った、そういうわけではなく、できる範囲でのお雑煮。

具材も色とりどりにいれられなくて、
青野菜とかも入れたら綺麗なのにな、とか思ったりするけど、
ずっと作ってなかったから信じられないくらいに手が遅くて。
主役はお餅になってしまいました。
我が家は白味噌のお雑煮なのですが、白味噌のお味噌汁だけは得意なので味はまあまあ。

 

お餅は主人が七輪でわざわざ焼いてくれました。
焼き色少し入れて、少しでもお雑煮っぽさを出してくれるために。

 

私、満足してるんです。
たったお雑煮だけだけど、薬に頼らずに作れたことが嬉しいんです。
ホント馬鹿だったな、あの頃の私って思います。
鬱でできないならできる範囲のもので良かったのに。それに気付かずに。

気だるさを感じながらも作れる料理、これから増やしていきたいです。


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新年のご挨拶 ~今年の私はきっと違うと信じて

あけましておめでとうございます。

皆様はどのようなお正月をお過ごしでしょうか。

私はお雑煮を作って2杯、さらにはおせちをたんまりいただいてしまい、明日のおせちがない?と不安になっております。

 

私にとっては昨年は激動の1年でした。

昨年中に書けなかったことも実はあり、またおいおい書いていこうと思ってます。

 

にしても!やはり減薬が中心の1年になりましたが、減薬をしている中でも家事や趣味を持てるようになった私は強くなったなあと思っています。

なにしろ、それまでの私は腐ってたもので…。

 

また、強迫パーソナリティで家事で手が一杯で、大好きな布花ができない!

って嘆いていた私ですが、あれから考え方が変わってきたのです。

家事をやることで充実感が得られることが、実は布花をやる原動力になってきたのです。

 

主治医が言われる「16時まで家事、それから趣味の時間」

その過ごし方は捨てました。なぜなら強迫パーソナリティを持つものにとって、時間に縛られることはマイナスだと私的には思った、というより私には向かない、そう考えたからです。

 

家事でてんてこまいで「布花ちょっとしかできなかった…」と苦しんでいましたが、

家事を目一杯やって布花ができなかったら、その日は家事の日。

そして次の日は家事はお休みして「今日は布花を目一杯やる日なの!」そう決めたのです。

今日でないといけない、そんな家事はやりますが、食器がたまってようが洗濯物がたためてなかろうが、そんなの明日でもいいこと。今では罪悪感ないです。

心がすぅっと楽になりました。

 

そう開き直った私は、なんと!今のお教室をやめ、以前通っていた尊敬する先生のところに片道2時間かけて通うことにしました!さらにもう1つ名のある先生がいらっしゃるのでそこへも通う予定です。山のように花を創って、部屋に飾り、そこで過ごすのが夢です。

 

まだこれからネガティブ思考の私には難関がいっぱいあるのではありますが、

ネガティブな1日であれ、はっぴーな1日であれ、ちゃんと受け止めて生きる今年にしたいと思っています。

 

皆様にとっても良い年になりますように!!

今年も、どうぞよろしくお願い致します。

 

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大豊作と思えた1年

明日で今年も終わり。
この1年は今までで一番早く感じた1年であったように思います。
本当にいろんなことがあったなあ、そう思い返しています。

 

一番大きかったことはなんと言っても減薬のフェードアウトです。
が、実は昨日こちらは寒波で雪が降り、朝からなんとなく調子悪いなと感じていたら、夕方から超巨大なだるさに襲われ、まるで熱に侵されたようにように。鬱がきたのかなあ…
もうこれで一気にガクッとダメージを受けてしまいました。

 

でも先生からは、
「しんどい時は飲んでもいい。楽な時にまた減らせばいいんですがな」
そう言われてます。
はい、わかってます。多くなっても、それでも尚諦めないで減薬を常に意識し続けることが大切なんですよね。
そういえば少し前に「減薬が終わってからすごい鬱がきたらどうしたら」と聞いたときの先生の言葉は、
「その時は頓服と考えて飲めばいいよ」
え? 頓服で飲んでもいいの?
先生は私が落ち込む度に、何とかくじけないように逃げ道を作って下さってるんだなあと思います。
「どうしてもやめなさい!」そう言われたら私は今頃ノイローゼになっていたかも知れません。
減薬を諦めてもいたかも知れません。

 

今日もなんとなくだる~い…
けど、鬱だと思っていたら風邪だった、ということが結構あります。
鬱と風邪は症状が似ているため、風邪に気づかず鬱と勘違いしてることが多いのです。

鬱ならどうしようと不安ですが、薬を多めに飲むくらいならうんうんうなってる方がよっぽどいい。
そんなこと考えれるまでになった私のこの1年は大豊作なのです!

今年、ここまで減薬が進むようにご指導いただいたことに感謝しております。

 

明日は朝から忙しく、本年のブログはこれにてラストになりそうです。
私のどうしようもないブログに目を通してくださった方、また励ましのコメントをいただきましたこと、心よりお礼申し上げます。
また来年もここで皆様のブログを読ませていただけること、とても楽しみにしております。


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くるくる回るループの中で

いつだって下がったり上がったり、そんな人生だったけれど、何とか誠実に生きようと前を向いてきたつもりだった昔。
でも躁うつ病と診断され、その病気がどんなものであるかを知ってから、どんなに励まされても心底からは前向きになれていない私がいる。
なにをしていても。楽しいと思える瞬間でさえも。

 

以前、強迫性障害のブログを書いていたけど、強迫には「治癒」への1本の道があり、その道を知った人は救われ、病気の終焉、つまり完治を迎えることができる。
私もその道を理解すればするほど、「きっといつか」と思えるようになれ、希望が持って病気と闘い続けている。完治まではいけていないが、終焉があると今も信じていられる。希望がある。

 

でも躁うつには1本の道などない。
くるくる回るループの中で生きていき、そしてその渦からは逃れられない。
鬱が来て、躁がきて、そして寛解がきて。そんな日々が人生が終わるまで続いていく。
症状に翻弄されて、どうしたらいいのかと自分の体や心をコントロールすることを考え続けて生きていく。

 

疲れた先に鬱が来れば、「そんなときもあるさ」なんて思えるほど私は立派ではない。
そう思える人がいるなら、それこそこの病気を「受け入れられた人」だ。
ループから逃れられた人、そう言えるかも知れない。

 

一瞬、受け入れたと感じることがあっても、苦しみをまた感じた時に思うのは「ああ、躁うつに振り回されるのはもう嫌だ」、そう受け入れてなどいない私がいる。

 

終焉がない病気は躁うつだけじゃないことくらいわかっている。
実際に、私の母方の従姉妹の子は身体障害者で、必死に生きたいのに仕事だって頑張りたいのに、やはり思うようにいかず嘆きの日々を送っているのだから。
「諦めないで」「がんばって」
そう言いたいけど、私自身がもう人生を精一杯生きることの辛さを感じている今、口にできない。
苦しい気持ちわかるもの。私だって嘆いているもの。もがいているもの。

 

こうやって嘆いて怯えている人生はなんて辛いんだろう。
逃げたい・救われたい、頭の中はそればかりで。
もし強迫のように1本の道を辿れば先が見える、そんな病気だったらどんなに救われただろう。

 

ただ、私に限ってのことだけど、この病気になってから1つ受け止められるようになったこともあった。

 

以前は何事も自分の力だけで頑張っていきたい、そう思ってた。
必死に生きたいと思っていたのも、こんな感情にある。
でも今、この病気になり、誰かの支えがなければ生きる力も失ってしまいそうになる私は、
自力だけで生きることの難しさを知り、それは私に限ったわけでなく、誰しも支えなしには生きてはいけないことを理解できるようになりつつある。
どんなに偉業を成し遂げた人でも、誰かの支えなしに生きてきたわけではない。
考えてみれば、何かを成し遂げたいと思っていたあの頃も実は誰かの支えの元に生きてきたはずなのに、なんて傲慢だったんだろう、そう思う。

こんな風に人生は心の持ちようで変わることもあるかも知れない。それは私たち障害者や病気を持っている人だけじゃなく、誰もが同じ日々を過ごせるわけじゃない、そう思うからだ。

 

でも私はまだ心からわかってるわけじゃない。未だにこの病気のループに巻き込まれてもがいている。今体調は安定しているが、いつ鬱に転じるか不安な心にまだ縛られてるのだから。

 

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ODしていたが故の事故

このところODも落ち着き始め、喜んでいた私ですが、
ある時ネットでODが大変なことを起こしてしまう可能性があることを最近はっきり知りました。

 

母をお墓まで車で送って行こうと運転していた時のことです。
気がついたら電柱に激突していました。
後で警察から聞いたのですが、2台の車を巻き込んだ後、電柱にぶつかる、そんな事故だったそうです。

 

助手席にいた母は相当なダメージを受けていました。
そして私は意識を失っていました。救急車の人が何か話しかけてるのが一瞬聞こえ、また意識がなくなりました。

母はかなりの重症で、入院、その後もしばらく寝たきりの状態にいました。
今でも背中が痛い、そう言っているのは私のせいです。
それはあの時の後遺症。
私のせいです。
事故を起こした私は夜まで意識がなかったのですが怪我は大したことはなくて。
なぜ苦しむのが母なのか。なぜ私じゃなかったのか。
逆なら良かったのに、そう思うと心が痛くて痛くて息苦しいです。

 

その後、警察に事情を聞かれましたが、事故に至った経緯は全く覚えていませんでした。
記憶がなくなっていました。と言うより、意識不明状態に陥った時の事故でした。
なぜ意識不明になったのか。
当時はよくわかっていませんでした。

 

ですが。
あの頃、鬱から逃れたくて現実逃避をするためにベンゾ系の薬をODしていた私。
ベンゾ系薬剤は翌日も意識が朦朧とすることがあるそうです。
ただでさえ危ないベンゾ系の薬。
それを大量に飲んでいた故に意識が朦朧、どころか、まるで眠っているかのような状態の脳になっていたのです。
まさしくODが起こした事故。弱かった私が起こした事故。

 

ODで母まで巻き込んでしまったことが悲しくて仕方ないです。
また、わけあって、あの時あまり看病できなかった私が嫌いで嫌いで、未だに自分が許せません。

 

実家にいるとき、「背中に湿布貼ってもらっていい?」とたまに母が言ってました。手がうまく届かない場所が痛む時には、私に頼みにきたんだと思います。なぜ私は湿布のことさえ頭になかったのでしょう。娘とは思えない最低な私。

 

今は、2階からの飛び降り事件以来、自宅で暮らしている私。
未だに毎日湿布を貼る母。前に私が貼っていた、手の届かない場所が痛む時はどうやって湿布を貼っているのか考えるとどうしようもなく悲しくなります。使いやすい湿布を何種類か病院でもらい試しているようです。

 

私も時々、飛び降りたときの圧迫骨折の後遺症から腰あたりが熱を上げて痛くなることがあります。
主人が貼ってくれるのですが、母の背中のことを考えると辛くてたまらなくなって、最近は「1人で貼るから」と、そう口にします。私だけ誰かに綺麗に貼ってもらうなんて、そんなの許されない。

私も、1人で貼りたい。湿布を貼りぞこなろうが、ぐちゃぐちゃにしか貼れなかろうが、そっちの方が心が楽になれます。

 

ODなしでみんな必死で生きてるのに、私は卑怯な手を使ったんですから私が罰を受けるべきだったのに、
なぜ母がこんな目にあっているのか。
それを見て苦しんで悲しんで、そして後悔し続ける人生を歩みなさい、そういうことでしょうか。

 

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人生をサボってる

同じ病気でも毎日をしっかり生きてる人をブログでよく見かける。
私は一応、主婦のはず。主婦が仕事だ。
だけどそう思っても実際思うようにできてない。

 

今日も鬱々した1日。
できたことと言えば、食洗機から食器を片付けたことと主人のスーツのプレッサー、そして最近はまってるレモン水作り。それだけ。
鬱だからの一言で片付けて。

 

人生をサボってる。
他にもできるはずのことがあるかも知れないのに、
私は疎かにしてる。

1日1日の積み重ねが人生なのに、その1日を疎かにしてる。
その疎かな毎日が虚無感を生む。
もったいない人生を送ってるようで。

このもったいない1日1日を埋めないと。
できたことを数えていけば、その虚無感は薄らいでいくのかも。

 

でもODしながらって動くってのはやっぱり間違ってる。

今はまだ「明日はまた鬱かあ」って思ってるけど、
だけど「明日はどんな日だろう」と思える日、いつか来るかな。

 

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来年もきて。そう願うそんなクリスマス

「楽しい!すごく楽しい!」
って私が主人に言う。にこーと笑う主人。
ディスコでクリスマスイベントがあるということで行ってきた。

 

体調が上向いてきていたため、「久しぶりにクリスマス気分味わおうか!」と主人が提案したディスコでのクリスマスパーティ。
ああ、もうすぐクリスマスなんだ。そんな日もあったなーとそこで気付く。

 

でもそんなことクリスマスに限らない。
楽しみに準備してたイベントがその日に限って台無しになるなんてことなんてしょっちゅう。

 

もういい!イベントなんか面倒なだけ!って思って、いつの間にかお誕生日もバレンタインデーも、結婚記念日でさえも、そんなイベント、もうとっくの昔になくなっていた。気付かずに過ぎ去っていることだってあった。
やがてイベント好きの主人もなにも言わなくなった。
そんなイベントが来る日を楽しみに待てる人が羨ましかった。
考えてみれば、我が家でのイベントらしきものは家族皆で集まる年末年始以外はないんじゃないだろうか。

 

そんな我が家のクリスマス。
何年やってなかったっけ?
病気になってから段々しょぼくなって、今ではクリスマスツリーもプレゼントも、なんとケーキですらない。
興味もない。そんなものどうでも良かった。
ただの平日と変わらない、そんなクリスマス。

 

でも今年のクリスマスは自分でも驚くほど楽しいクリスマスになった。
まず、いつもと違ってクリスマスを楽しもう、そんなことを思える私がいた。
主人と向かい合って踊ったり、お立ち台に上ったり、練習していった8の字ダンスも結構いいじゃん?とか、頭の中はドーパミンで溢れまくっているのか、もっとはしゃぎたい、楽しみたい、そんな気持ちでいっぱい。
大袈裟だけど、まるで思い切り人生自体をを楽しんでいるかのよう。
昔の、病気になる前の私はこんなだったなあ、そう思い出しながら、今こうやって元気でいられることに心から感謝した。

 

夜の9時から翌日早朝の3時半ラストまでいたにも関わらずずっと体調は元気なまま。
途中、主人に「体調大丈夫?」と聞かれたけど、
「大丈夫!楽しいんよ!全然しんどくない!」

 

楽しいクリスマスイベント。
普通の人はこんな楽しい時間が過ごせることがどんなに貴重なものかわかってるのかな。
メンタルの病気を抱えた私が、こっそり心の中でそう思って周りを眺めているのなんて思いもよらないだろうな。
だって私も健常者だった時はそうだったんだもの。。

 

帰宅は早朝の4時半だった。
来年もきて!こんなクリスマス。そう願いながら眠った。

でもやはり不安がよぎる。
これはひとときのこと?こんなにはしゃいだら、明日から落ち込むのかな、やっぱりそんな心配は頭の中にある。だけどお昼過ぎに目が覚めたとき、まだ頭は霧が晴れた状態で。心はまだ安定していた。安堵する。

 

でも、正直なんで?とまた思う。
なんでいつまでも元気なの?疲れても元気でいられるワケ?
病気になる前のようなこの体調は一体何なワケ?

 

こんなブログがまだ今後も書けてたら、来年のクリスマスも同じこと書いてたら?
ここで思うのはやはり、「私は何病なんだ?」だ。


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