躁と鬱と私

鬱から双極へ転化し。家事のできない名ばかりの主婦

ODしていたが故の事故

このところODも落ち着き始め、喜んでいた私ですが、
ある時ネットでODが大変なことを起こしてしまう可能性があることを最近はっきり知りました。

 

母をお墓まで車で送って行こうと運転していた時のことです。
気がついたら電柱に激突していました。
後で警察から聞いたのですが、2台の車を巻き込んだ後、電柱にぶつかる、そんな事故だったそうです。

 

助手席にいた母は相当なダメージを受けていました。
そして私は意識を失っていました。救急車の人が何か話しかけてるのが一瞬聞こえ、また意識がなくなりました。

母はかなりの重症で、入院、その後もしばらく寝たきりの状態にいました。
今でも背中が痛い、そう言っているのは私のせいです。
それはあの時の後遺症。
私のせいです。
事故を起こした私は夜まで意識がなかったのですが怪我は大したことはなくて。
なぜ苦しむのが母なのか。なぜ私じゃなかったのか。
逆なら良かったのに、そう思うと心が痛くて痛くて息苦しいです。

 

その後、警察に事情を聞かれましたが、事故に至った経緯は全く覚えていませんでした。
記憶がなくなっていました。と言うより、意識不明状態に陥った時の事故でした。
なぜ意識不明になったのか。
当時はよくわかっていませんでした。

 

ですが。
あの頃、鬱から逃れたくて現実逃避をするためにベンゾ系の薬をODしていた私。
ベンゾ系薬剤は翌日も意識が朦朧とすることがあるそうです。
ただでさえ危ないベンゾ系の薬。
それを大量に飲んでいた故に意識が朦朧、どころか、まるで眠っているかのような状態の脳になっていたのです。
まさしくODが起こした事故。弱かった私が起こした事故。

 

ODで母まで巻き込んでしまったことが悲しくて仕方ないです。
また、わけあって、あの時あまり看病できなかった私が嫌いで嫌いで、未だに自分が許せません。

 

実家にいるとき、「背中に湿布貼ってもらっていい?」とたまに母が言ってました。手がうまく届かない場所が痛む時には、私に頼みにきたんだと思います。なぜ私は湿布のことさえ頭になかったのでしょう。娘とは思えない最低な私。

 

今は、2階からの飛び降り事件以来、自宅で暮らしている私。
未だに毎日湿布を貼る母。前に私が貼っていた、手の届かない場所が痛む時はどうやって湿布を貼っているのか考えるとどうしようもなく悲しくなります。使いやすい湿布を何種類か病院でもらい試しているようです。

 

私も時々、飛び降りたときの圧迫骨折の後遺症から腰あたりが熱を上げて痛くなることがあります。
主人が貼ってくれるのですが、母の背中のことを考えると辛くてたまらなくなって、最近は「1人で貼るから」と、そう口にします。私だけ誰かに綺麗に貼ってもらうなんて、そんなの許されない。

私も、1人で貼りたい。湿布を貼りぞこなろうが、ぐちゃぐちゃにしか貼れなかろうが、そっちの方が心が楽になれます。

 

ODなしでみんな必死で生きてるのに、私は卑怯な手を使ったんですから私が罰を受けるべきだったのに、
なぜ母がこんな目にあっているのか。
それを見て苦しんで悲しんで、そして後悔し続ける人生を歩みなさい、そういうことでしょうか。

 

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