躁と鬱と私

鬱から双極へ転化し。家事のできない名ばかりの主婦

断薬しよう。私の気持ちを変えたもの

私がなぜ減薬をしようと堅く決心したのか。
それは実は母のある行動に由来している。

私はある時ノイローゼになり、2階から飛び降りた。
それはしばらく実家に戻って療養してた時のことだった。

ノイローゼの理由。
それは毎朝、母が私の部屋にやってきて4時間くらい病気の話をする。
何度も聞いた話を私が納得いくまで話そうとしてくる。
やはりロヒプノールについての話は日課のよう。
特に母の話し方は少し特徴的で、人を追い込むような話し方がたまらなく苦しかった。
ただそれは私を思うがあまりのことだから仕方ない。

だが、それが何ヶ月か続いた時、私はいつの間にかノイローゼになっていった。
話し続ける母の話に耳を塞ぎたい衝動に駆られ、ふらふら違う部屋から飛び降りたのだった。
とにかく耳を塞ぎたかった。何も聞きたくなかった。

地面が近く見えるというのは本当だ。私の目にも地面が近く近く見えた。
そこからは記憶がない。


その後、実家を離れて自宅で過ごすことになった。

2階から飛び降りた代償は圧迫骨折で椎間板がなくなったこと。歩くのも50mですら怪しい。いずれ手術しないといけないかも、と主治医に言われていた。
でもそんなことより悲しかったことがある。

 

しばらくして大きな袋が届いた。母からだった。
中には山のようなロヒプノール
2日毎にやってくる山のようなロヒプノール

私でもこれだけ集めるのは難しい。
心療内科だけでなく内科で処方されたものも多かった。

毎日、朝夕通わなければ集められないような量、いったい何軒回ってるんだろう。
そして難解だったのは、
なんで「反対していたロヒプノールを送ってくるのか」だった。謎だった。
確かにまだ常用していた私にはこの頃はありがたかった。

でも途切れることのない私への山のような薬の袋たち。


でもそれはだんだん悲しみとなっていった。袋が届くたびに心が痛くて仕方なくなった。
どんな思いで薬を集めてくれているのか。
「もういいから!」と何度言っても、「出かけるのは健康にいいから」と誤魔化す。本音を言わない。
言葉にするのは「薬、足りてる?」

 

そのロヒプノールの入った袋は、私の心を一変させた。
こんなことを母にさせてるのが辛すぎてたまらなくて私は決断した。

ロヒプノールをやめよう。

寒い時も、雨の時も、母が何件も病院に通う姿を想像したくない。

そんな姿を思い浮かべながらのODなんてしたくないと、1年前少し前のあの時決めた。

今まで考えたこともない断薬だけど、でもこの袋が私の心を変えてくれた。


母から聞いた、薬を運んできてくれていた理由。
2階から飛び降りた私が横たわってるのを見て思ったという。
ロヒプノールを飲んでいてもいいから、だから死なないで。
一生飲んでもいい。どんな姿でもいいから生きていて。

 

人生って不思議だ。何が人の心を変えるかわからない。

本当にありがとう。私、負けないよ。
袋に入った薬の山にこめられた気持ちを無駄にしないから。

その気持ちを抱えて、減薬にまっしぐら。

今はラストの段階です。もう少し。

なんとなく「北風と太陽」という童話を思い出した私です。

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