躁と鬱と私

鬱から双極へ転化し。家事のできない名ばかりの主婦

主治医の呪文  (懐古録 2018/3/10)

1日60錠飲んでいたロヒプノールは、いまでは1日12錠までと決めている。
いつもいつも頭の中は「減薬」という言葉で溢れている。
そのためだけに生きてる、なんて大袈裟とも思うだろうが、ホントにそうだ。

でも以前、先生に言われたことがある。
「決めた量にこだわらなくても、苦しい時は飲んでもいい」
これは私の逃げ場所を与えてもらって、少し心が楽になった。
けど、やはりどうしても超えた日は自分が情けないと先生に相談すると、先生は同じこの言葉を呪文のように繰り返す。


私の先生の得意分野は薬だけで調整する、という治療法ではない。
薬だけの治療でなく、行動療法を最も重視されてる。

実は以前、強迫性障害になった時、この先生の元での認知行動療法でほとんど治り、今ではほぼ普通の生活ができている。
それ以来、私は双極性障害についても、長年通い続けていた心療内科をやめて、この先生に診てもらうことにしたのだ。
今までの病院ではどんな投薬するかを相談するだけのたった15分間だった。
前に進まない感じで不安だった。

でもこの先生は、双極性障害についてもやはり認知行動療法という形をとられた。
もちろん薬はでるが、でもその他に課題があるのだ。

 

診察日ごとにシートを2枚提出しなくちゃいけない。
1つは毎日の行動やその時にどのくらいの体調でいられたかをグラフ化したもの。
もう1つは、例えば「その活動により気分にどんな影響を与えたか」「気分が落ち込んでるときにすると良さげなことはあるか」「次回までの診療までに気分を軽くする方法は?」などなど8つほどの項目についてまとめを書くシートだ。
それについて先生と語り合う。


予約制だが、何分でも納得いくまで時間をとってもらえる。

私が、前々回で書いた「出来る範囲の中で生きていく」、これも先生の言葉の影響が大きい。先生はいつもこの言葉を繰り返される。
これが理解できるようになったのは、もしかしたら先生の何回も繰り返すこの呪文のような言葉だったのかも知れない。
強迫性障害の時も同じで、何度も繰り返される呪文で一種洗脳されていくような感じだった。
今は先生の発する言葉に何も疑問を感じない。

先日、診察日だった。
「体調が良くて、いつもの家事をやった後は何をしたらいいのか」
「仕事量を増やしてがんばった方がいいのか」
との私の質問に、先生曰く、
「いつもの家事ができた後は、遊んでいなさい」だった。
それでいいの!?と思ったが、やはり先生のその言葉にも疑問はない。
今、わたしはその通りの生活を送っている。

私に「廃人生活を変えてくれる呪文」をかけ続けてくれる先生に感謝してやまない。

(懐古録です 2018/3/10)

 

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